Minowa daily

ミノワ デイリー

Black Box 伊藤詩織

読んでよかった。良い本だった。

Black Box

 


そもそも読もうと思ったのは、なぜかこの人に対する不信感があったからだ。

それは先入観と偏見だったと思う。
容姿が優れていること、会見の時の服装(シャツのボタンを外して胸元を出していた)が理由だと思う。

「女であることを利用して権力者に取り入ろうとしたのではないか。この服装からも分かるように、いたずらに性的興味を引こうとしたのではないか」と感じたのだ。

その不信感が妥当なものか確認するためにこの本を読むことにした。

結果、その先入観と偏見は間違ったものだったことが分かった。最初の数ページで。

 

 

この本が優れているのは被害者自身がジャーナリストであることだと思う。
ノンフィクション作品は大抵ジャーナリストが第三者として書いているが、この本では事件の当事者がジャーナリストだ。

ジャーナリズムの影響からだろう、加害者を非難するような主観的で感情的な表現は一切なかった。愚劣だとか卑怯だとか、そういった表現はなかった。emailでのやりとりなど客観的な事実を軸に描かれていた。

そのため彼女自身の生々しい苦しみはそれほどまでに伝わってこなかった。
それも当然、彼女が述べている通り、この本の目的は「生々しい苦しみを伝えること」でもなければ加害者を糾弾することでもないのだ。

彼女は冒頭でこう書いている。
「今の司法システムがこの事件を裁くことが出来ないならば、ここに事件の経緯を明らかにし、広く社会で議論することこそが、世の中のためになると信じる。それが、私が今この本を刊行する、もっとも大きな理由だ」と。

とはいえ自ずと苦しみ自体は伝わった。私は一度殺された、という表現も頭では理解できる。しかし男性として生きているため性的な恐怖を味わったことがないし、同じ被害に遭わない限りは本当の意味で彼女の苦しみを理解することはできないのが歯がゆい。

しかし想像することはできる。

 

彼女の行動が愚かだったと批判する向きもあるかも知れないが、この事件を防ぐことはできなかったのか。それは難しかったと思う。この事件が起こるまで彼女と彼は2度しかあっていないが、彼の彼女に対する態度と対応は社会人としてとても親切で誠実だった。どれだけ危険察知能力の優れた人でも、この時点でこの人物から危険を感じ取ることは難しかったと思う。

 

そして事件の日。デートレイプドラッグが使われたのかは分からない。状況から「そう推測できる」に過ぎない。
しかしドラッグが使用されなかったとしても、嘔吐するほど泥酔し意識がなく自分では歩けないような女性を、タクシーから引きずり出してホテルに連れ込み行為に及ぶというそれだけでも、彼の行動は責められるべきだと思う。

彼女自身の感じ方は主観的なので一切参考にしないという立場を取ったとしても、ホテルの防犯カメラに写っていた彼女が「通行人が振り向くほど憔悴した状態だった」という事実や、タクシー運転手が証言したように彼女に意識がなかった事は客観的な事実である。

 

確かに、準強姦の要件である
・行為があったこと
・合意がなかったこと
に基づけば、今の司法判断では彼は有罪ではない。合意がなかったことを客観的に立証するのが難しかったからだ。(意識がなかったのだから拒否することも出来ないのだが)
しかしそれは彼が悪事を働いていないということにはならない。

 

彼は意識のない女性と行為に及び、彼女が意識を取り戻すと彼女の体や頭をベッドに押さえつけ、行為を続けようとして彼女の膝を無理やり開こうとした。この時の衝撃で彼女の膝はズレてしまい、日常生活に影響の出るような傷害をもたらした。(医師の診断があったとの事だからこれも客観的な事実と思われる)

司法では裁けなかったが、この行為は一般的な道徳観をもってすれば「悪事」であることに変わりはない。誰がこの行為を胸を張って公にできるだろう。

きっと彼は自分の中で理屈をつけて正当化しているのだろう。「仕事を紹介してあげるのだから、このくらいの見返りは当然だろう」とか。

そしてまた彼がemailの中で「準強姦」という司法用語を用いていることからも、彼が準強姦が成立する要件を知った上でその抜け穴を利用していたとも推測できる。


彼が「申し訳ないことをした」と感じる日は来るのだろうか。いつかその日が来て欲しいと願う。

 

彼女の心が救われるには何が必要なのだろうか。彼の心からの謝罪で救われるだろうか、それとも事態はそれほど単純なことではないのだろうか。
言うまでもないが体を傷つけられたことよりも、彼女の「尊厳」が傷つけられたことの方が深刻である。

 

この世に悪人などいないと思っている。「憎い」「殺してやる」などと言って生まれてくる子供はいない。

彼はTBSのワシントン支局長まで勤めた人間だ。社会的にも経済的にも成功していると言っていいだろう。そんな彼でさえ満たされず、このような悪事を働かざるを得ない何かを抱えていたのかも知れない。どれだけ成功しても、彼は幸福ではなかったのかもしれない。

その後彼は手記を発表したが、その内容を見ると彼は保身と正当化に必死で、彼が誰かを傷つけたという事実には関心がないようだった。

人の心を持たないモンスターになっていると感じる。こう頑なになるともう誰も彼を救えないと思う。不憫な人だと思う。

 

人は自分の満たされない何かを別の何かで埋めようとする。それが暴飲暴食などであればかわいいものだが、こうして他者を傷つけることは容認されてはならない。

 

繰り返しになるが、ジャーナリストが当事者として書いたノンフィクション作品としてこの本はとても優れているし、社会に対して問題提起するという著者の目的も達成されていると思う。

同じようなことが起こり得る女性だけでなく、守りたい大切な女性がいる男性にも読んでもらいたい本である。

2時間から3時間で読了できると思う。